アジア障害者支援プロジェクト

アジア障害者支援プロジェクト


アジアの仲間に一人でも多くの自立を

日本で使われなくなった車いすや、アジアの障害者のためにと寄付してくださった車いすを集め、アジアの障害者へ手から手へと届ける取り組みはプロジェクトの中心的な活動です。2002年、アフガニスタンに400台余の車いすを届けたのを皮切りに、これまでタイを中心にアジア18ヵ国へ約4000台余の車いすを届けてきました。私たちが届けた車いすによって、「家から出られるようになった」、「学校へ行けるようになった」、「仕事ができるようになった」など、車いす支援はアジアの障害者たちの「自立生活」の一助となっています。

【お知らせ】
DPI 世界会議・札幌大会を機にスタートした「アフガニスタン障害者支援プロジェクト」がその後「アジア障害者支援プロジェクト」と名前を変え、18年間に渡り活動を続けてまいりました。皆様には長きにわたり温かいご理解、ご指導、ご協力をいただきまして、誠にありがとうございました。この度、プロジェクトの活動に一旦終止符を打ち、今後の活動の在り方を見直す機会とさせていただきます。つきましては、18年間の活動の報告書を作成しました。お時間のある時にご覧いただければ幸いです。
そして、2022年4月より活動名を「チームアジアンドリーム」に変更し、任意団体として新たな活動をスタートさせています。連絡先等変わりありませんので、興味のある方は是非お問い合わせ頂ければと思います。

アジア障害者支援プロジェクト報告書
 →PDFファイル
 →オンライン観覧用サイト(外部リンク)

プロジェクト概要

1.アジア障害者支援プロジェクトの趣旨

アジア障害者支援プロジェクト
代表 江戸徹

毎年JICAの支援により、持ち回りでDPIアジア・太平洋リーダーシップセミナーが開催されている。開発途上国の仲間たちからは、車いすをはじめ福祉機器の支援がほしいという声が多く寄せられる。
本当に何も無いところで、リハビリも自立もない。 せめて車いすがあれば家から一歩外に出かけられる。
先進国である日本からの支援が欲しいと言う声が圧倒的である。私たちも日本で福祉を生業にしているが豊かではない。
しかし、開発途上国の実情を知れば知る程,日本の敗戦直後を知る私にとってそれ以上の困難を抱えて活動している人たちに何とかせねばと言う焦りに似たものを感じる。

2002から2003年に掛けアフガニスタンに車いすを400余台贈り、成功の裏に終える事が出来た。
早速アジア各国からの要請が有り、今後はアジア各国への支援を息長く、出来る範囲で活動していくことを誓った。
そして、DPIアジア太平洋ブロック(在タイ・バンコク)事務局長トポン氏と話し合い、彼らと共にミャンマーをはじめバングラディシュ・ラオス・カンヴォジア等々に、障害者支援をしていきます。
豊かな日本が本当に困難を抱えて苦しみ、貧しさ故に今日の命すら保障のない人たちへ皆さんの支援と協力を戴きながら精一杯・全力で支援していきます。
皆さんの周りにいる人達へ小さな輪を広げていただけたら幸いです。宜しくお願いいたします。

2.目的

広くアジア地区において、車いすを送る活動を柱とし、障害者リーダーの育成、障害者運動を推し進める。

3.内容

  • 車いす輸送支援
    タイを基点に各国へ配布。配布の前には現地での調査を前提とする。
  • 障害者リーダー・車いす技術者の支援
    日本で行われる障害者リーダー、車いす技術者育成においてのサポート、推薦、紹介を行う。
  • 国際交流・イベント開催
    毎年名古屋で開かれる名古屋シティハンディマラソンへアジア地区の障害者を招待。また、アフガニスタンで撮影した映像を公開するなどのイベント開催。

4.これまでの活動

支援を行った国
アフガニスタン・タイ・カンボジア・ミャンマー・バングラディシュ・パキスタン・ブータン・フィリピン・ベトナム・モンゴル・ネパール・ラオス・キルギス・中国など
アフガニスタンへの車いす支援
2002年、アジア障害者支援プロジェクトの前身の組織アフガニスタン障害者支援プロジェクトが立ち上がります。
これは、当時戦争が終わったばかりのアフガニスタンの障害者を、DPI札幌世界大会に現地の障害者を招いたことから始まりました。
このことをきっかけに、AJU自立の家ではアフガニスタンへの現地調査を経て約400台の車いすの支援を決定しました。
日本からアフガンへ車いすをどうやって運ぶのか、誰も知らない中でのスタートでした。運送会社と連携を図り、貨物船・鉄道・トラック等を利用しアフガニスタンへ車いすを届けることができました。
現地では障害者1人1人に手から手に車いすを届けました。
中には遠いところからみんなでお金を出し合って車いすを受け取る人たちもいました。
現地の宗教上、女性は外に出ることがあまりないのですが、車いすを受け取るために受取場所まで足を運んでいました。
本当に車いすが必要とされているんだなと感じる瞬間でした。
こうして約400台の車いすを現地の障害者団体と連携を図り、障害者に届けることに成功しました。
その他の車いす支援


現在タイへは毎年約100台の車いすを支援しています。
タイ国内だけでなく、タイの現地スタッフがラオス、ミャンマーなどタイ周辺国への支援も同時に行っています。

アジア障害者支援プロジェクトリーフレット



プロジェクトの活動をわかりやすくリーフレットにまとめました。

リーフレットデータのダウンロードはこちら(pdf)




AADP年表

国際的な障害者運動の動き、日本の障害者運動の動き、AJU自立の家とアジア障害者支援プロジェクトを年表にまとめました。

国際的な障害者
運動の動き
日本の障害者運動の動き AJUとアジア障害者
支援プロジェクト
1948年
世界人権宣言
1949年
身体障害者福祉法
1960年
精神薄弱者福祉法制定
身体障害者雇用促進法
1971年
精神薄弱者の権利に関する宣言
1972年
アメリカ・カルフォルニア州バークレーで世界で初めての自立生活センター創設
1975年
障害者の権利に関する宣言
1970年
神奈川県青い芝の会、横浜の母親による障害児殺しに対し厳正裁判要求
1973年
仙台で第1回車いす市民全国集会
車いすガイドマップ「車いすTOKYOガイド」
1973年
愛知県重度障害者の生活をよくする会結成
1975年
車いすセンター開設
1976年
車いすガイドマップ(なごや)制作
1977年
第3回車いす市民全国集会(名古屋)
1981年
国連「国際障害者年」DPI 設立
1982年
国連「障害者に関する世界行動計画」採択
1983年
「国連障害者の十年」
1981年
アメリカ自立生活運動のリーダー エド・ロバーツ来日
1986年
DPI日本会議設立
1987年
精神保健法
1984年
わだち作業所開設
1985年
第一回 名古屋シティハンディマラソン
タイ、バングラデシュ、フィリピン、韓国より重度障害者を招聘。
1990年
「障害を持つアメリカ人法」制定
1993年
国連「障害者の機会均等化に関する基準規則」採択
「アジア太平洋障害者の十年(1993-2002)」
1999年
障害者差別撤廃米州条約
1993年
「障害者基本法」制定
1990年
AJU自立の家(福祉ホーム・デイ・授産)開設
1991年
AJU自立の家後援会発足
1993年
AJU福祉情報誌創刊
自立支援事業開始
1996年
ピア名古屋開所
1997年
自立生活情報センター開所
2000年
「アフリカ障害者の十年」
2001年
障害者権利条約案検討のための特別委員会設置
2002年
国連アジア太平洋経済社会委員会
「アジア太平洋障害者の十年(1993-2002) 」最終年ハイレベル政府間会合
2003年
「第二次アジア太平洋障害者の十年」
2004年
タイ社会開発人間の安全保障省、JICAとの間で
アジア太平洋障害者センター(APCD)開設(タイ、バンコク)
「アラブ障害者の十年」
2006年
「アメリカ障害者の十年」
障害者の権利条約採択
2008年
障害者の権利条約発効
2002年
国連アジア太平洋経済社会委員会
「アジア太平洋障害者の十年」最終年ハイレベル政府間会合(滋賀県大津市)
DPI世界会議札幌大会
2003年
支援費制度開始
2004年
日本障害フォーラム(JDF)設立
2006年
障害者自立支援法
千葉県「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」成立(2007年施行)
2007年
日本 障害者の権利条約調印
2000 年 ヘルパーステーションほかっと軒開所
福祉機器レンタル事業開始
2002年
アフガニスタン障害者支援プロジェクト開始
アフガニスタンへ車いす404台寄贈
2003年
ヘルパーステーション・マイライフ開所
2004年
タイを中心にミャンマー、ラオス、カンボジアへ車いす寄贈(各国30台)を開始。
2005年
アジア障害者支援プロジェクト
タイへのスタディツアー開始
2008年
愛知障害フォーラム(ADF)設立

アジアの現状

アジアのために プロジェクトへの想い

平和、それは素晴らしいことです。その国、日本で私自身が愛犬と共に生活できる。当たり前のことでした。 私の気持ちがアジアに向かうようになったのは2002年10月のことでした。アメリカで起こった9.11テロ事件報復のため激しい空爆を受けた国アフガニスタン。 国連の介入もあり、やっと長い間の内戦が終わった国を見たときです。日本の外というものはあまりにも、自分の想像していた以上に厳しいものでした。社会が生きるのに厳しいということは、障害者にとっては如何ほどのことか?車いすが無く、街の中を這いずる者、物乞いをする者。私は言葉も出ませんでした。 帰国後、日本全国で写真展をやり、キャンペーンをし、多くの方の支援をいただき、400台の車いすをアフガニスタンへ持っていくことができました。 またアフガンだけではなく、アジア全体を通して、車いすが無くて困っている大勢の方々がいると知らされました。
どうかみなさん、アジアの国に少しでもお力をお貸し下さい。
全国の暖かい心を、皆さんの代表として手から手へ、私自身が届けます。
思いやりは、あなたの心です。